医療ミスで失った指が治る日まで

医療過誤で熱傷三度のやけどを負わされました。治療のこと、裁判のことをたんたんと。

2013.10.26 医療事故翌日

朝11時に一人で病院へ。 雨だったので徒歩でいく。

昨日処置をしてもらったO医師が担当。「水ぶくれが破けるかも」と言われたので、このときもすぐになおる程度のヤケドだと思った。薬を塗りバンドエイドを貼って終了。次週また土曜日に来るように言われる。

 

なぜかバンドエイドは貰えず、バンドエイドを補助するテープだけもらう。ゲンタシン軟膏と、デルモベード軟膏、ロキソニンを処方される。何度も謝られたが、なんとも言えず、「ありがとうございました」と言って帰る。

 

風邪が悪化。喉の痛みと微熱が続く。14時頃、医師から携帯に電話が来る。

一緒についていくので月曜日に専門医にみてもらうように、と言われる。

「コンビニでもらうプリンについてるスプーンとかで薬を塗って」といわれたが、自宅にはなく普通の金属製のティースプーンで薬を塗る。これでいいのかと思いつつ。

傷口にはゲンタシン、やけどにはデルモベード。 わたしも夫も傷口を見る耐性がなくげっそりする。 夫に「薬局でいちばん大きなバンドエイドを買ってきてね」というと おそらくひざとかに貼る大きなバンドエイドを買ってきてくれたのでそれを貼った。

 

↓ 怪我の写真につき、閲覧注意 

 

 

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本来怪我したのは一番上の爪の怪我だけ。指の腹は医療事故によるもの。

2013.10.25 医療事故当日

その日は、風邪と疲れでふらつきながら台所に立っていた。

 

18時頃。かぼちゃを切ろうとして左人差し指の爪を超え、肉まで切ってしまった。パニックになりながらこども(当時生後七ヶ月)と入浴中の夫に「指を切ってしまった!」と言って、 テイッシュで傷口を押さえて一緒にタクシーで病院へ向った。

 

診察時間は過ぎていたので、救急で診てもらうことに。

ずいぶん待って、やっとで診察室に入り、看護士さんが傷口を洗い流してくれた。「思うほどそんなに切れてないよー」と言われた。 痛かったけど踏ん張って我慢。

 

O医師がきてくれて、ずっとついていてくれてた看護士に O医師は「私一人でも大丈夫よー」と言っていて看護士は他のところ(急患?)にいってしまった。

 

処置は爪がそげているので縫うのでなく、電子メスで燃やして止血すると。 

O医師はベッドに寝たわたしと世間話をしながら、指に麻酔を打った。なかなか効かないようで四回程された。

その間何人か看護士が手伝おうときて、その度O医師は「一人でも大丈夫よー」と。

 

ようやく麻酔が効いて、電子メスのスイッチを入れる。何か音がしてすぐ、「熱っ!ヤケドしたっ!!」と医師は言って、水場へ行った。

医師はわたしに背を向けて指を洗っているようで、わたしはベッドに仰向けで寝転んだままひとり放置。手のほうはどうなってるのかこわくて見ることができない。 麻酔が効いていて、指には何の感覚もない。

 

しばらくして、看護士が来てあわてて燃えあがるガーゼを持ち上げた。 (後から聞いたところ、指の下に敷いていたガーゼだった)何が起こっているのかはわからなかった。そして 長い間指を冷やされていた。 そのときは電子メスでまさかヤケドしていたと知らず、なぜ冷たいんだろうと思っていた。

 

処置後、「のミスで処置の最中ちょっとヤケドをしました」と説明された。 切り傷だけだったらすぐの処置だったのに、ヤケドの処置で時間がかかってしまったと。 (あれ?先生がヤケドしたんじゃないの。わたしもしたのかー。そっかー)としか思わなかった。 ことの大きさをわかっていなかった。 その後、夫にも同じ説明をしていた。 翌日、本来なら専門医に診てもらうのだが、責任を持って私が診ます、と言われる。ロキソニンを処方され、授乳を止めた方がいいと言われた。今までずっと母乳で育ててきたから、ミルクを飲まないかもしれないので、というとカロナールも処方してもらえることに。

 

処置がおわり、会計と薬を待っている最中から麻酔が切れたらしく、痛みがどんどんひどくなっていく。包丁で切ったときよりも。 薬をいち早く飲みたいのになかなかもらえない。他に誰も患者はいないのに、 会計はいらないのかどうかで長く待たされていたようだったけど、「いくらでもはらうから早く薬がほしい」と夫にやつあたりして怒った。 夫が薬局に頼んで先に薬をもらった。そのあと事務の人が、選定療養費だけでいいといわれた。

 

病院を出たのが20時30分。 薬局に寄って哺乳瓶を買って帰った。 痛くてイライラしてずっと夫にやつあたりしていた。 帰ってから悶えるほど痛くなった。 座ることも寝ることもできず、夫とこどものいないところでうずくまったり、歩き回ったり、地団駄を踏んで痛みを逃そうとしていた。 なんで切り傷がこんなに痛いんだろうと思った。 なんでロキソニンがまったく効いていないんだろうかと思った。夫が心配してきてくれて「つらい!いたい!」と泣き叫んだ。今まで感じたことのないような痛みだった。

 

でも痛みよりも何よりも、鎮痛剤のせいで授乳できなくて断乳になるかもしれないのが一番ショックだった。  こどもは哺乳瓶でミルクを飲むと変な顔をする。ミルクをあげたくない。 胸のあたりにしがみついてこどもが泣く。辛くてわたしも泣いた。 なるべくロキソニンは我慢して授乳を優先することにした。 夜も痛くて眠れなかった。

 

 

はじめに

あの日、医療ミスにあってから、もう半年以上が経ちます。

わたしの左人差し指は、切断したときと同じほどのダメージのヤケドを負いました。今まで感じたことのないようなもがき苦しんだ痛みと、当時生後七ヶ月のこどもを抱えての治療の日々は辛くて、ただただ治るものだと信じて、夫に支えてもらいながら過ごしてきました。

今はえぐれたようになくなった指もほとんど形は回復しました。でもケロイド状に残り、硬く触れると痛みがあり、感覚も違和感があり、ほとんど使えていません。意識して使おうとはするのだけど、使いづらく痛みもあるし、長い時間使わないことに指が慣れてしまいました。

事故当日は、「ちょっとやけどを負わせてしまいました」。三日後、「完治まで一ヶ月はかかるかも」。一ヶ月後、「完治まで三ヶ月はかかるかも」。 三ヶ月後、「完治まで一年はかかるかも」。そして、きのう、九ヶ月経って。「何十年かしたら治ります。痕は残るでしょうが。。。」もらったのは、気休め程度のビタミン剤と保湿剤でした。

もうほとんど治らないということを言葉では言えないのだと思いました。

医療ミスでこんな目に遭い、恨んだり責めたりしたい気持ちもあったけれど、同じ病院で治療してもらってきたので、いつも笑顔を作って通院をしていました。いつも感謝の言葉しか言えませんでした。そのことでフラストレーションも溜まっていたけれど「治すことに専念しよう」と、ずっと考えることに蓋をしてきました。でも、もう治らないと判った今、治ることを信じるのはもうやめて、終わりにしようと思います。

 

今まで日記に書きためていた事故のこと治療のことと、これからはじまる裁判のことを記していこうと思います。